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ジャガイモンプロジェクトのタレント関連事業の中で、2020年より業務提携している摩利乃さん(西村摩利乃)。
近年は活動拠点を東京に移し、役者としての道を歩み続けています。

その摩利乃さんが出演する舞台 『どいつもこいつも。』 が、theatre OLO のプレ旗揚げ公演として、東京で4月から5月にかけて全16公演が行われました。

さらに、5月14日から18日にかけては、札幌でも全7公演の上演が決定しました。

私はこの中で17日の13時からの回を観劇に行くこととしました。


   


今回の劇場は札幌にある演劇専用小劇場BLOCH。
私自身も過去にスタッフとして関わるイベントで複数回お世話になっている場所であり、その中には摩利乃さんも出演していた舞台公演関連のイベントもありました。

そういった意味でも懐かしい思い出の場所のひとつです。


数年来の業務提携とはいえ実際にはなかなか具体的に活動をサポートしてあげられていないのが現状ですが、それでも摩利乃さんの北海道・札幌凱旋を自分の目で見ておこうということ今回は急遽札幌まで行ってきました。


   
   



「どいつもこいつも。」
これはある児童相談所のお話。

物語の詳細については、再演の可能性を考慮してここでは深く触れません。
ただ、冒頭のシーンには強烈な印象を受けました。

女の子3人が遠くを見つめながら、無言で中指を立てている――そんな衝撃的な場面から幕が上がります。
すぐに舞台は一転し、児童相談所に新たに赴任してくる柊木みずほさん演じる主人公・富田の登場シーンへと移ります。

一見、冒頭の場面とは直接繋がらないように感じられる展開。
しかしこれはきっとどこかで伏線が回収されるのだろうと、自然と物語に引き込まれていきました。


摩利乃さんのお芝居を直接目にするのは2018年以来実に7年ぶり。
その演技からは確かな成長が感じられました。

表情のひとつひとつに役の内面がにじみ出ていて、演技以上の何か、その場に実際に “存在している” ようなリアリティがありました。
これは、おそらく ”演じる” こと以上に、”感じる” ことを大切にしているのだろうと想像できました。
自らの役がどころどんな感情でそこに立っているのか、どんな想いで言葉を発しているのかをしっかりと自分自身に落とし込み、それを表情や佇まいで表現しているように感じました。

他の出演者の方々も同様に表情がとても豊かで、もし仮に台詞が聞こえなかったとしても、物語の流れや感情が十分に伝わるような説得力を持っていました。
みなさんがそれぞれの役の心の中をきちんと理解していて、ただ台詞を読むだけのような芝居は一切見られませんでした。


ひとつ気になった点として、ある場面で音楽の音量が台詞をかき消してしまうほど大きくなる演出がありました。
はじめめは、「音が大きすぎるのでは?」と戸惑いましたが、物語が進むにつれてそれも意図的な演出であり、台詞をあえてはっきりと “聴こえさせない” ことで観客の感覚を切り替え、次の場面への移行を強調しているのだと理解できました。


舞台演劇にはテレビドラマや映画といった映像作品にはない特有の魅力があります。
そのひとつが、ひとつの舞台上で複数の出来事が同時に進行するという演出です。

例えば今回の作品では、舞台の下手(客席から見て右側)で数人が会話している一方で、同時に上手(左側)では別の登場人物達が異なる行動をしているという場面がいくつも見受けられました。
ただ黙って立っているだけではなくそこでもちゃんと物語が進んでいるのです。

映像作品の場合、視聴者の視線はカメラによって限定され、映っていない人物が演技をしていないこともあります。
しかし演劇舞台では、舞台上にいる限り、常に観客の視界の中にあるため、演技は一瞬たりとも止まりません。
この違いが舞台ならではの ”生きた空間” を生み出しているのです。


また、場面の転換においても独自の工夫が凝らされていました。

全員が舞台から一度退場したり、照明を暗転させてシーンを切り替えるのではなく、全く異なる空間で起こっている2つの出来事を舞台の上手と下手で同時進行させる。
そしてその途中でふっと空気が変わるようにして、自然に場面が切り替わっていく。
そんな演出が何度も見られ、観ていて驚きや新鮮さを感じました。

BLOCHという会場は決して大きな劇場ではありません。
しかし限られたスペースでありながら、舞台が広く立体的に感じられる演出がされていたことにも感心しました。

更には異なる空間として展開していた2つの場面がやがて自然とひとつに繋がる。
それも大きな動きや転換をせず、舞台上でのわずかな動きだけで空間が交錯していく。
こうした演出の巧みさには、思わず「へぇー!」と感心させられることばかりでした。

文字にしてみるとこれを観ていない方には少し伝わりづらいかもしれません。
ですが、私の中では、「あ、こういう見せ方もあるのか」と、何度も新しい発見を得られた時間と経験でした。


私は約10年にわたって、札幌でたくさんの舞台演劇を観てきてきました。
時にはひとりの観客として作品を楽しみ、また時にはスタッフや関係者として舞台の一部に関わることもありました。

そんな経験の積み重ねが、いつしか私の中で「札幌の舞台演劇とはこういうものだ」というひとつの基準になっていたのだと思います。
しかし今回の作品では、その基準が良い意味で覆される瞬間が何度もありました。
演出や作品の作り方において新鮮な驚きや発見がたくさんあったのです。

これまで数多くの舞台を観てきましたが、この作品には私の中の「当たり前」や「慣れ」を心地よく揺さぶってくれる力がありました。
そしてそれが何より嬉しく、ありがたく感じられたのです。


中でも特に心を動かされたのは、摩利乃さん演じる鈴木、渡辺ひかるさん演じる坂本、森脇ななさん演じる林恵。
この3人の少女達の間で繰り広げられる喜怒哀楽の豊かさでした。

互いとのやり取りの中で生まれる感情、そして外に向けられる感情。
それぞれの感情が複雑に揺れ動く中でも、常にベースにあるのは悲しさや苦しさといった現実の重さでした。

「喜び」や「楽しさ」が描かれる場面でもそこには現実の全てを取り払うことはできず、少女達が懸命に必死に生きようとしている気持ちがところどころでにじみ出ていました。

ただただ優しいわけでも、ただただ明るいわけでもない。
笑いの裏にも言葉にならない痛みや葛藤が潜んでいて、それがふとした表情やしぐさに現れてくる。
そうした感情の層の深さが観る側の心にもじんわりと染み込んでくるような演技でした。


摩利乃さんの演技は、私がこれまで知っていた彼女の枠を良い意味で大きくはみ出すものでした。

温和な笑顔と優しさに満ちた鈴木という人物。
常に仲間や味方であり続けようとする彼女の姿はとても温かく包み込むようでした。
けれどその奥には計り知れないほどの悲しみが静かに横たわっている。
その二面性が自然な呼吸の中に溶け込むように表現されていて、本当に心を打たれました。

そう感じた時、私はひとつの確信を得た気がしました。
「彼女には、まだまだ無限の可能性がある」と。

だからこそ今回この瞬間にこの場所で、彼女の演じる姿を久しぶりに間近で観られたこと自体が私にとって大きな喜びでした

そしてその姿の更に向こう、これから広がっていくであろう彼女の未来に確かな希望を感じずにはいられませんでした。


森脇ななさんが演じた林恵は、物語の中で母親からの虐待を受けるシーンがありました。
その時に見せた死に物狂いの表現、そして信じていた相手に裏切られた時の悲しみと怒りが入り混じる鬼気迫る演技には、ただただ圧倒されました。
本当に凄まじかったです。

もしあの演技が音漏れするような稽古場で行われていたら近所の人が通報してしまってもおかしくないほどの迫力。
それほどの感情の爆発を舞台の上で成立させるためにどれだけの積み重ねと覚悟があったのかと思うと、改めて「すごい」としか言いようがありませんでした。


また、今野美彩貴さんが演じた山下も印象深い存在でした。
序盤では感情を大きく見せることは少ない穏やかな役柄として登場します。
けれど物語が進むにつれて、彼女の中にも積み重なっていた感情があったことが明らかになる場面があり、前半の抑えた演技との対比によって、その変化がより強く効果的に伝わってきました。

「穏やかな人」に見えていた彼女もまた、日々の中で不満や葛藤をたくさん抱えていたのだ。
それが後半になって一気に噴き出すことで全てが繋がるように観客に伝わる。
この2時間弱という限られた時間の中でそこまでの積み上げと説得力を持たせられることに本当に感動しました。


男性陣それぞれの役柄に見られる対比も今回の作品の大きな魅力のひとつだったと思います。

石原滉也さん演じる斎藤は観る者にとっても物語の中の人物にとってもただただ腹立たしい国の役人。
常に自分の意見が絶対であり、それに反する人間や考え方は全て間違っているという一貫した態度が、非常に強烈に印象づけられていました。

それに対して佐々木庸二さん演じる田中所長は、国の意向と部下や子供達との間で板挟みになる苦しい立場。
本当は子供達を守り抜きたいという強い想いを持ちながらも、立場上守らなければならないものが他にも多くあり、理想と現実の間で葛藤する姿が描かれており、田中所長自身の中にも、「本当は子供達を守りたい」という思いと、「立場上それができない現実」との間で揺れ動く内面的な対比が描かれていました。
そしてそれに加えて絶対的な価値観を押し通す斎藤との対比もまた印象的で、一貫した強権的な態度を貫く斎藤と、矛盾と葛藤の中でもがく田中という構図が物語に深みを与えていたように思います。


内田智一さん演じる藤本には、現在の冷めた態度と、かつて情熱を持っていた過去、そして今もなお内に熱さを抱えているという三層構造のような対比がありました。
ただ冷めているだけではなく、かつての熱さと今の抑制された態度が交錯し、それが静かに表現されていたように思います。


土居優癒さん演じる宮本には、子供を持つ親として子供を心から大切に思う感情と、その子供の為にも自らの立場を守らなければならない現実との間での揺れる動きがありました。
守りたいという気持ちと、自分が崩れてはいけないという理性。
その対比が彼の人物像を深めていたと感じます。

男性キャストそれぞれが物語の中で明確な立ち位置を持ちながら、その中に内的な対比や葛藤を抱えている。
そのことがこの作品を厚みのあるものにしていたと思います。


この「対比」は、RIAさん演じる林裕子というキャラクターにも強く表れていました。
自分の子供を苦しい環境に追い込み、更には虐待してしまうという “行動” としての彼女と、実際には自分自身も追い詰められた環境の中でどうすればよいのか分からず、結果としてそれが虐待という形に現れてしまったという “本心” との間に、痛ましいほどの対比がありました。
その複雑な感情のぶつかり合いが観ている側の心にも深く突き刺さりました。


私達が現実の中で生きている世界にも常に対比は存在しています。
ひとつの出来事に対して複数の思いを抱くこともあれば、「本当はこうしたい」と願いながらも、環境や立場に縛られてそうできないこともある。
他人と自分を比べてしまったり、自分の中にある矛盾と向き合ったり、誰しもが何らかの対比の中で日々を過ごしているのだと感じさせられました。

この作品にはそうした現実世界の複雑さや苦しさが丁寧に織り込まれており、それを通じて私自身も多くのことを考えさせられました。
同時に児童虐待や児童相談所のような現実の社会問題について改めて向き合うきっかけにもなったと思います。



全体を通して台詞の間やテンポの良さも非常に心地よく、場面の転換時にはあえて “間” を取ることで観客に余韻や思考の時間を与えたり、逆にスピーディに繋げることでリズム感を生み出すなど演出の妙が随所に見られました。

これまで自分の中にあった演劇の “基準” とは良い意味で異なる表現や構造にたくさん触れることができ、そこから新しい知見や視点を得ることができた。
そんな作品でした。



最後に、主演の柊木さんについても触れたいと思います。
彼女の演じる主人公・富田は、それぞれの場面で相手に対して見せる感情の移ろいや、自らの置かれた環境によって揺れ動いていく心の変化がひしひしと伝わってくるような演技でした。

自分の理想とは相容れない大人達の姿に対しては、時に正面からぶつかり、時に戸惑いながらも立ち向かう姿が印象的でした。
また、一方で救いたいと願う子供達に向ける感情と、その子供達の反応を受けた時の繊細な表現からは、役柄を超えて彼女自身の役者としての魂、覚悟のようなものを強く感じました。


今回私がこの作品を劇場で観劇した理由のひとつに、実は柊木さんの存在がありました。
もちろん業務提携している摩利乃さんが出演していること自体も観劇の大きな理由です。
しかし実はここ数年、私は柊木さんのことがずっと気になっていました。

彼女自身の存在、そしてSNSに気付いた数年前から、私の中にひとつの大きな疑問が生まれました。
彼女の発信の中に私の見覚えのあるものが含まれており、それに気付いて以来どうしても気になって仕方がなかったのです。

そんな柊木さんと摩利乃さんと共演し、しかも北海道で公演があるということで、真実を確かめる絶好のチャンスだとも感じました。

今回、終演後に直接ご挨拶させていただいた際、柊木さんに確認しました。
やはりここ数年ずっと抱いていた私の想像通り、彼女は士幌町出身でした。

公式プロフィールには「北海道出身」と記載されていますが、士幌出身であることを特に隠しているわけではなく、実際にそのような発言も何度かしているとのことです。
更に驚いたのは、ジャガイモンプロジェクトのこともご存知だったということでした。

これまで士幌町内で柊木さんについてのそのような話を耳にしたことは一度もなく、私自身本当に全く知りませんでした。
ここ数年来、私の中でくすぶっていた大きな謎がようやく解けた瞬間でした。

そんな柊木さんに直接お会いできただけでもここまで来た甲斐がありました。
更に柊木さんからから、実はジャガイモンプロジェクトと過去に少し関わりがあったというお話を伺い、私の知らなかった事を知ることもできました。
ここでは詳しく触れませんが、その思いがけない事実に感慨深いものと不思議な御縁を感じました。




あなたは何を守りますか?

今回の作品のフライヤーにはその言葉が他の字よりも少し大きく書かれていました。

それぞれの登場人物が心の底で守りたかったもの。
現実の世界でどうしても守らなければならなかったもの。
そして守れなかったもの。
それらに想いを馳せることで、この作品、そして物語の深みを一層感じることができました。

同時に、今回の出会いを通して私自身の中にも「守りたいもの」「大切にしたいもの」が増えたような気がします。

もしこの作品が別のキャスティングであったなら、私はきっとこの物語に出会えなかったでしょう。
また、このタイミングでこの場所でなければ、この日訪れた様々な出会いもきっと得られなかったかもしれません。

だからこそこうして巡り合えたことに心から感謝していますし、様々な御縁に触れることで、改めてありがたさを実感しています。




今回は13時からの開演で30分前に開場予定でした。
私は12時少し過ぎに劇場前に到着しましたが、扉の前に並んでいる方はまだ1人もいませんでした。
どうもこういう場ではつい早めに到着してしまう習慣がついているようです。
レポート用の写真を撮るにはそれも悪くはないのですが。

開場時間が近づくにつれて少しずつ人が集まり始めました。
その中には、ジャガイモンプロジェクトファミリーの方の顔ぶれもチラホラと。
劇場に入ってからは、そんなみなさんとお話ししながら開演を待っていたため、ちょっとしたプチ交流会のようにもなり、懐かしいこの場所で再会できたことがとても嬉しく感じられました。

終演後には柊木さんと摩利乃さんのブロマイドとチェキを購入させていただき、少しお話しできる時間もありました。
しかし、楽しい時間というものは本当にあっという間に過ぎてしまいますね。

ロビーには、事前に送らせていただいたメッセージボードも掲示されていました。
業務提携とはいえ名ばかりで何もしてあげられていない摩利乃さんに対してここで少しでも力になれていたのなら幸いです。


   
   



どいつもこいつも。

どいつもこいつも、どうしようもなくて、
どいつもこいつも、悩みを抱えていて、
どいつもこいつも、大変で、
どいつもこいつも、ひとりでは生きていけないのかもしれない。

今回は、theatre OLO のプレ旗揚げ vol.0 として、東京と札幌で公演が行われました。
東京を拠点に活動するこの劇団が、次にどんな作品を生み出すのか。
どんなキャスティングがなされるのか。
そして、再び北海道で観ることができるのか。

そんな期待を胸に、これからの展開を楽しみにしていきたいと思います。





2025年5月19日 掲載

ジャガイモンプロジェクト代表 ・ 川崎康



 
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